大村ひであきブログ

大村ひであき活動レポート(2009年2月5日号)

2009/2/5 - AM10:58

【「年越し派遣村」インタビュー 日経ネットPLUS(1月30日付)に掲載】

○年末年始の日比谷公園での派遣村の経緯等について日経新聞の企画記事の一環として大村のインタビューが掲載されました。
現下の最大の国政の課題は景気と雇用です。
年度末の節目に向けてこれからも全力で取り組んでまいります。

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以下:記事抜粋

派遣契約の打ち切りなどで仕事や住居を失い、日比谷公園(東京・千代田)の「年越し派遣村」に集まった人の宿泊先として、厚生労働省は庁舎内の講堂を開放する異例の措置を取った。
緊急事態でやむを得なかったとする声がある一方、本来なら地方自治体が対応すべき業務に国が直接乗り出すことには省内外から反発もあった。現場で指揮を執った大村秀章副大臣に経緯や教訓などについて聞いた。

—なぜ講堂の開放を決断したのか。

「派遣村実行委員会の湯浅誠村長とは年末のNHK番組で知り合った。元旦にも民放の生放送で一緒になり、終了後に湯浅氏に『これから派遣村に行かないか』と誘われたが、地元の愛知県で新年会があるので断った。その後、2日の午後1時に電話があり『(人が集まり過ぎて)パンクしてしまう。熱が出て救急車で運ばれている人もいる。何とかしてほしい』と言われた。『現場を見ないと何とも言えない。すぐ行く』と答え、予定を全部キャンセルして東京に向かった」
「午後4時20分くらいに役所に着き、官房長や会計課長ら職員10人ほどを副大臣室に集めて作業した。5時になって暗くなり始め『最悪の場合、(講堂を)開けるから』と言った。『(元厚生次官の刺殺)事件で省内の警備を強化しているときに身元確認できない人を入れるのはどうか』との声も出たが、『容体が悪い人がいるのに何もしなければ内閣の浮沈にもかかわる。見過ごせない』と返した」
「5時40分に千代田区長の自宅に電話して、区内の学校体育館を開放するよう直談判したが、正式に断られた。それで『開けるしかない』と判断した。(了承を得るため)6時過ぎに舛添要一厚労相に電話し、開放する際の条件も紙にして、6時半に日比谷公園の派遣村に話をしに行った。250人全員が講堂に入ったのは11時。国立病院も2つ確保して優先的に救急患者を受け入れる形にした」
「(講堂で生活した人たちは)秩序立って行動し、よく話を聞いてくれた。早く手当てをすれば、すぐに何らかの仕事に戻ってもらえる気がした。職を失っても 早く手当てしてトランポリンみたいにポンと仕事に戻ってもらえる仕組みが必要だと思った」

(詳細は、日経ネットPLUSをご覧下さい。)

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【戦傷病者特別援護法制定45周年、日本傷痍軍人会創立55周年記念式典に出席】

○1月21日(水)日本武道館で行われた戦傷病者特別援護法制定45周年、日本傷痍軍人会創立55周年記念式典に出席。

○当日は、天皇皇后両陛下ご臨席の下、全国から戦傷病者及びその妻が参集され、盛大に挙行されました。
天皇陛下のおことばの後、麻生総理、衆・参議長、そして大村が厚生労働省を代表して援護行政の責任者として挨拶。陛下の前で挨拶させていただき、大変緊張しました。


【日本テレビ「ACTION緊急討論SP 今働けない若者を考える」出演】

○2月1日(日)13:25~14:55同番組に出演。
残念ながら東京・関東圏のみの放送でしたが、今最大の課題である雇用と働き方について徹底討論を行いました。

○大村からは、正規と非正規の待遇格差の是正。非正規の底上げ、セーフティネットの強化。派遣法の見直しの方向。農業や介護、新たな雇用創出。ニッポン人の働き方のあり方。安心できるセーフティネットの構築。などについて 熱く語りました。


☆☆☆☆☆メディア出演☆☆☆☆☆
「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」
2月6日(金)20:00~20:54  中京(日本)テレビ
今回のゲストは、杉浦太陽、FUJIWARA、益若つばさ金美齢さん他。ぜひご覧下さい。

NHK「日本の、これから」
2月7日(土)21:00~22:59  NHK総合テレビ
金融危機による世界経済の悪化により、厳しい状況が続く「雇用」の現状とこれからについて議論します。
出演者は、大村の他、湯浅誠、奥谷禮子(ザ・アール社長)、江川紹子、古賀伸明(連合事務局長)さんの各氏です。ぜひご覧下さい。
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